昭和47年10月01日 特別奉修委員
高橋さんが一枚の名刺を持って見えて、こういう人が尋ねてきておりますと言う。茶室の前にある高い木があります。あの木は大変珍しい木で、あれには真っ赤なこのくらいな赤い実がなるんですね。あれは、こぶしの木と言うんだそうですね。それが、田主丸のなんか、植木のなんかをなさっておられて、たまたま、ここの横を、夫婦で、下って見える時に、それが目についたから、赤い実を、是非、頂けんだろうかと言うて見えておるという訳なんです。
それは、家には、去年は沢山なったから、お花の材料に少し使ったくらいで、どうぞお役に立つなら使うて下さいち。そしたらこれは地にしばらく埋けといてね、そして水撒きをする。そすと来年は、苗が出来ますから、また苗で持って来ますからと。いや持って来てもろうても仕方がないから要りませんよ。あんただんお役に立つなら使うて下さい。それが、全国であれは色んな標本を作るんですね木の。それに探すのに、ないというくらいに珍しい木だそうです。何方か献木された訳なんです。
もうそれは大きな木蓮を少しこまくしたような。夜目にも美しいくらいに見事に真っ白い花が咲くのですよ。私は木蓮木蓮と思いよった所が、こぶしという木だったようです。昨日御霊様のお祭りを仕えさせて頂いて、あそこにあります徳利に入れてある、コスモスと水引のねあれから、今朝頂いた御理解の様な意味の様な事を頂いて、いつまでもお供えが出来んと、神様がこぶしを振り上げておられると。
叩く真似をしてからでも、子供にね言う事を聞かんと叩くぞと言う様な気持ちで、神様が妹に迫っておいでられると言った様なね、感じを頂いたんですよ。ほほうあれはちょうど、こぶし大の赤い実が成るからなんでしょうかね、けれどもその御理解に、こぶしを振り上げて、いつまでメソメソしておるかというような事なんです。そして事の通りを、言い分け、語り分けられて、そして「子のために悲しむ親の心にも、勝れる神の心をぞ知れ。」という、神様の心が分かった途端に、心の中は晴れ晴れしくなる。
いわば有り難くなるのだと言うおかげを頂きましたがね。これも夕べもう十一時頃だったでしょうか、休ませて頂く為に部屋にまいりましたら、丁度家内がテレビをつけて見よるところでしたが。大阪か東京か知りませんけれども、九十になる、講談、講釈師ですかね、のお爺さんが、ちょうどやっているところでした。それが丁度家の父くらいな感じですけれども。本当のお爺さんですよね。
ところがどうして、講釈台を叩いてやりましょう。そのなんて言うですかね、声なんかも張りのある声で、講釈を語り終わられて、そのお爺さんの、なんとかという講釈師を囲んで、なにか、話があっておるようでした。それてそこで話をしておるのに、今朝の御理解じゃないですけれども、「あなたはこういう芸を身につけられたおかげで、長生きをされておられる。長生きをしておるからこういう芸が出来る。どっちですか」という意味の事を言ってましたがね。
芸のおかげで、長生きのおかげを頂いておるという事を言っております。その方がひっついて見えておる、やっぱ小屋の神さんかななにからしいんですよ。が説明して耳が遠いから、記者と話しておられるのが聞こえないくらい。皆さんが話しておられるのが全然聞こえませんと言っておられますけれども。もう高座から降りて、座談会の時には、腰がこうなって、本当のお爺さんですよね。
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